身体活動によるケモブレイン軽減効果

2019年の初め、Dawn Schnellは乳がんの化学療法を開始すると「意識混濁」のような状態を体験するようになった。

「2回の治療中に少し気を失うような感覚に襲われました」当時45歳だった彼女はそう語る。「部屋に入ると、(なぜ私はここに来たのだろう)と思うのです。まるで脳に霧がかかっているようで、以前のように物事がうまく処理できませんでした」。

これは何もSchnellに限ったことではない。4分の3に上る乳がん患者が、化学療法の経過中に「ケモブレイン(chemobrain)」や「ケモフォッグ(chemofog)と呼ばれる認知機能障害があったと報告している。症状には混乱、記憶喪失、集中困難、注意散漫などがあり、このような認知症状の問題は、化学療法の終了後も何年にもわたり続くことがある。

身体活動には、乳がん患者のこうした問題を予防する効果があることが研究で示唆されている。そこで、Schnellは医療従事者のアドバイスに従い、化学療法の期間中、これまで以上に体を動かすようにした。治療の痛みがある日にも、屋外を早足でウォーキングしたり、ルームランナーで歩いたり、また家の周りを何周もしたりした。認知症状が悪化するのを防ぐのに、体を動かすことが「役に立った」と彼女は言う。

このたび、乳がん患者を対象とした大規模試験により、化学療法の期間を活動的に過ごすことで認知症状の悪化を抑制する可能性がさらに裏付けられた。治療前に活動的な生活を送っていた患者については、より大きな恩恵が得られるという。

この試験はロチェスター大学医療センターのMichelle C. Janelsins博士率いるチームが実施した。試験では、化学療法の前およびその期間中に国が定めた身体活動に関する最低限のガイドラインを遵守した乳がん患者は、遵守しなかった患者よりも化学療法の終了直後および終了から6カ月後の認知機能が高いことがわかった。試験の結果は8月18日にJournal of Clinical Oncology誌に掲載された。

この試験の筆頭著者であるElizabeth Salerno博士(公衆衛生学修士、ワシントン大学セントルイス校医学部)は、こうした知見から、治療開始前に定期的な運動を行う期間を設けるなど、乳がんと診断された患者にとって「認知症状を早期に予防できる方法を知ることができます」と述べる。

同氏はまた、治療により乳がん患者の生存期間が延びている一方で、高い生活の質を維持し、周囲との関わりを持ち続けることができるよう認知機能の低下を防ぐことが重要だとも話す。

Diane St Germain氏(看護師、理学修士、認定診療看護師、NCIがん予防部門の地域コミュニティがん予防臨床試験調査グループ[Community Oncology and Prevention Trials Research Group])は「この試験から、化学療法の開始前にベースライン時の身体活動レベルを知っておくことが重要だとわかります」と話す。「次の段階として大切なのは、運動を行うタイミングと1回の量、また化学療法下でどのようなことを行えるかを十分に把握することです」。

「犯人」探し

研究者は引き続き、がんに関連した認知症状の原因究明に努めている。

「がんへの罹患自体が、神経認知機能の低下をもたらす可能性があることを示唆する証拠があります」とCatherine M. Bender博士(看護師、ピッツバーグ大学)は言う。同氏は、NCIから資金提供を受け行われている臨床試験のチームメンバーであり、運動が乳がん患者の認知機能に影響を与える生物学的機序を調べている。

 Bender博士らはこれまでの試験において、一部の乳がん患者では治療開始前でも認知機能の悪化がみられることを見出している。「このことは、乳がんの何らかの特性が認知機能の問題に関与している可能性を示しています」。また、がんと診断されたことによる精神的苦痛が関係していることもあるという。

「それに、化学療法、免疫療法、ホルモン療法などの全身治療が、神経認知機能の低下を招くことを示唆する証拠が多くあることは言うまでもありません」。

これには遺伝も関与している。複数の試験で、アルツハイマー病との間に何らかの関係があるとされる特定の遺伝子型もまた、がんに関連した認知症状を呈する危険因子になることがあるとわかっている。

この症状に対し承認されている治療薬はないが、症状緩和の目的で、中枢神経刺激剤であるリタリン(一般名:メチルフェニデート塩酸塩)などを処方する医師もいる。

その他の介入として、認知訓練、コーピング方略、ストレス緩和などがある。身体活動は健康な高齢者の認知機能を向上させることが示されており、一部には、化学療法を受ける乳がん患者にも同様の効果があることを示唆する試験もある。化学療法の終了後に身体活動を行う患者に認知機能の改善が認められたと報告する試験がある一方で、化学療法の前および期間中の身体活動がもたらす影響を調べた試験はないに等しい。

身体活動との関連

Janelsins博士主導のもと行われた観察研究では、化学療法の前、終了直後、終了から6カ月後の身体活動レベルを、乳がん患者と年齢をマッチさせたがんでない対照群とで比較した。この試験には乳がん患者580人、がんでない対照者363人が参加した。

参加者は、NCI 地域コミュニティがん調査プログラム(Community Oncology Research Program[NCORP])に属する、米国にある地域のがん医療機関22施設で募集された。

本研究の共著者であるKaren M. Mustian博士(公衆衛生学修士、ロチェスター大学医療センター)は「試験では異なる地理的、人種的、経済的背景をもつ人々を対象にしたことで、一般化できる可能性の高い結果が得られました」と話す。

参加者は試験期間中、3時点(化学療法開始前7日以内、化学療法終了後1カ月以内、化学療法終了後6カ月以内)で、家事から激しいスポーツに至るまで、取り組んださまざまな活動のレベルと頻度について、詳細を質問票に記入した。患者はまた、各時点で認知機能に関する質問に答え、認知機能検査も受けた。

化学療法開始前には患者の約3分の1が、国が定めた身体活動に関するガイドラインを遵守しており、その割合は化学療法期間中21%に減少したものの、化学療法後には37%まで増加した。

Salerno博士は「遵守率は回復したものの、約3分の2の患者さんは十分な活動ができないままでした」と指摘する。

化学療法開始前に活動的であった患者ほど、化学療法終了直後および6カ月後の認知機能検査の結果が、活動的でなかった患者に比べ良好であったと報告されている。

化学療法の前後を通して、身体活動に関するガイドライン(中強度から高強度の身体活動を週150分間行う)を遵守していた患者は、化学療法期間にわたり認知機能が最も高かった。また、身体活動に関するガイドラインが遵守されなかった患者では、化学療法の前後で認知機能の低下がみられたことが報告されている。

Janelsins博士は、今回の試験で得られた認知機能に対する運動の影響を、化学療法の前および期間中に身体活動による介入を行うランダム化試験にて確認する必要があると述べる。同氏はまた、こうした試験では、認知症状を最小限に抑えるのに最も効果的な活動量もしくは「1回の量」、および活動の種類も併せて調べなければならないと言う。

St Germain氏は、今回の試験では参加者の地理的背景に多様性があるとはいえ、大半を白人と閉経後女性が占めていたことを指摘し、試験で検討した運動介入、つまり体系化した身体活動をできるだけ多くの人に適用し、容易に利用してもらえるよう、今後の試験はさらにさまざまな背景をもつ人を対象とする必要があると述べる。

認知機能を上回る効果

身体活動には認知機能を高める以上の効果があると考えられる。

「活動的でいることが、実際に疲労を軽減し、不安やうつの解消に役立つうえ、身体機能の向上にもつながります」とSalerno博士は話す。がんの診断前および治療後に身体活動を定期的に行う乳がん女性は、身体活動を行わない乳がん女性よりも再発または死亡に至る割合が低いことが試験によりわかっている。身体活動は13種類のがんの発症リスクをも低下させる。

一部では、身体活動の種類が認知機能に及ぼす効果を左右するかどうかについての研究も行われている。Diane Ehlers博士(ネブラスカ大学医療センター)はこうした研究は、今後の極めて重要な情報になると話す。

「これ以外にも、患者さんにあまり負担をかけずに活動的になってもらうために、私たちは学んだことをどう活かせばよいでしょうか」。同氏はNCIから資金提供を受け、乳がんサバイバーを対象に有酸素運動による認知機能向上に関する臨床試験を実施している。「というのも、どうしても疲れたり、吐き気を催したりする日には、一日のできる時に体を動かせばいいのです。患者さんはそのほうがずっとやりやすいでしょう」。

また、NCIから資金提供を受け、乳がんサバイバーを対象に身体活動が認知機能に及ぼす効果に関する臨床試験を行っているSheri J. Hartman博士(カリフォルニア大学サンディエゴ校)は「どれくらい身体活動を行えば認知機能が向上するかはわかっていませんが、なにもしないよりは何か体を動かしたほうがよいでしょう」と話す。「ガイドラインの推奨事項を達成できなくても、体を動かすことで、どうすれば毎日もっと動けるかがわかるようになります」。

運動プログラムを始めることを考えているがん患者は担当の医療従事者に相談すべきであるとJanelsins博士は言う。「担当の医療チームはその患者さんに最も見合った活動をみつけるお手伝いができます」。とはいえ、一日を通し今よりも動くようにするだけで大半の患者に効果があると付け加える。

Schnellはがんのない現在も活動的な生活を続けており、未来への投資だと自分に言い聞かせることで、モチベーションを維持している。Janelsins博士が主導する試験の1つに参加した彼女は「がんを再発させたくない」と話す。「二度とこのような経験をしないですむように、つねに健康的な生活を心がけていく必要があります」。

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身体活動の推奨量

米国保健福祉省が2018年に発表した「米国民に向けた身体活動に関するガイドライン(Physical Activity Guidelines for Americans)第2版」の推奨事項では、実質的な健康上の利益およびがんを含む慢性疾患の発症リスクの低下を目的としている。成人への推奨事項は以下のとおりである。

・中強度の有酸素性の身体活動を週に150~300分間、もしくは高強度の有酸素性の身体活動を週に75~100分間行う。または、中強度と高強度の有酸素性の身体活動を組み合わせて週にこれらと同等の量を行う(それぞれ時間の長さは問わない)

・筋力を強化する活動を週2日以上行う

・有酸素性の活動と筋力を強化する活動に加えて、バランスを養うトレーニングを行う
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翻訳担当者 伊藤美奈子

監修 太田真弓(精神科・児童精神科/クリニックおおた 院長)

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原文掲載日 

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