腫瘍溶解性ウイルスを免疫細胞に潜ませ腫瘍に送り込む
皆さんは「ウイルス」と聞いて、まず何を思い浮かべますか?
もし私が当ててみるとすれば、何か否定的なこと、おそらく、何らかの病気を思い浮かべていらっしゃるのではないでしょうか?もちろん、それは妥当な答えです。
しかし、もし私が、ある種のがんの患者さんに対する治療法としてウイルスを利用することが可能ですと述べたらどのように思われますか?
免疫療法の一つとして用いることができる腫瘍溶解性ウイルスと呼ばれる特殊なウイルスがあります。腫瘍溶解性ウイルスは、正常で健康な細胞には感染せずに、腫瘍細胞内に感染して複製するよう特別に遺伝子操作されており、いったん腫瘍細胞内に入ればその腫瘍細胞を死滅させます。
それだけではありません。腫瘍溶解性ウイルスは、いわゆる免疫原性細胞死を引き起こします。簡単に言うと、腫瘍溶解性ウイルスに感染した細胞が死ぬと、このウイルスが体の免疫システムの反応を誘発するということです。
腫瘍溶解性ウイルスは、1つの腫瘍細胞を死滅させることによって、体の免疫システムが腫瘍細胞を異物として認識するのを助けます。なぜなら、免疫システムは、このウイルスを異物とみなすためです。このようにして、免疫細胞を刺激して腫瘍細胞を攻撃させ、死滅に追いやらせるのです。
このようにいうと、免疫システムと腫瘍溶解性ウイルス双方にとって有利であるように思われるかもしれません。しかし、実は落とし穴があります。
免疫システムは、腫瘍溶解性ウイルスと共に働くだけでなく、このウイルスに不利に働くこともあるのです。もし、腫瘍に到達する前に体の免疫細胞に見つけられれば、このウイルスは、体内にいる他の外来のウイルスや細菌と同様に免疫細胞によって破壊されます。
メラノーマのような一部のがんでは、これはあまり問題にはなりません。がんが皮膚にあるので、ウイルスを腫瘍に直接注入することができるためです。
しかし、他の到達しにくい腫瘍にとっては、これは大きな問題となります。腫瘍溶解性ウイルスは血流に乗って腫瘍に到達しなければならず、途中で多くの免疫細胞に遭遇することになります。
したがって、腫瘍溶解性ウイルス療法をより効果的な治療法にしようとするならば、このウイルスが免疫細胞に遭遇することなく腫瘍細胞内に取り込まれるよう、方法を見つけなければなりません。
幸いにも、私たちが一部出資しているシェフィールド大学の研究者たちが、その方法を見つけ出しました。
トロイの木馬について聞いたことがありますか?
大食い
この場合、木馬はマクロファージという一種の免疫細胞を表しています。
マクロファージは、体内で見つけた外来微生物を取り囲み、飲み込み、破壊することによって死滅させるという仕事を担っています。マクロファージはギリシア語で「大食い」を意味しますが、この特性を私たちに有利なように利用することが可能です。マクロファージの中にウイルスを入れるのです。
「マクロファージはものを飲み込んで食べることが大好きなので、ウイルスに非常に感染しやすいのです」と研究チームを率いるMunitta Muthana医師は述べます。
「しかし、マクロファージがこの治療法で有力な利用候補とされる理由には、多くの腫瘍内にはすでに多くのマクロファージが存在するということも挙げられます。例えば、固形腫瘍内の約50%~80%をマクロファージが占めている場合もあると報告されています」
「マクロファージは、他の免疫細胞とは異なり、腫瘍の周辺や外側に止まるだけではありません。腫瘍の奥深くまで入り込む能力を持っているのです」
したがって、端的に言えば、がんの患者さんの血液からマクロファージを得て、このマクロファージに腫瘍溶解性ウイルスを感染させ、その後、腫瘍溶解性ウイルス感染マクロファージをもとの患者さんに注入すると、このマクロファージは腫瘍溶解性ウイルスを直接腫瘍に運び込みます。なぜなら、腫瘍はもともとマクロファージが住み着く場所だからです。
しかし、皆さんは疑問に思われるかもしれません。ウイルスはどのようにしてマクロファージの内部からがん細胞を死滅させるのでしょうか?
答えは、「そうはしない」です。
ウイルスを取り込んだマクロファージが腫瘍内に入り込むことで、このウイルスはより良い機会を得ます。
ウイルスの主な目標は、複製をできるだけ多く繰り返すことです。そのために、細胞に感染し、その細胞自身の機構を乗っ取り、自分自身のコピーを作るのです。この場合、腫瘍細胞はウイルスにとって理想的な住処となります。
複製を行う最良の方法は、それ自身が急速に複製を行っている細胞を乗っ取ることです。
「細胞に感染したウイルスは、最終的には細胞から漏れ出して、生き残るためにより良い環境を探そうとします」とMuthana医師は述べます。
「このとき、ウイルスは腫瘍に入り込もうとします。『本当はこのマクロファージ内にはいたくない、急速に分裂しているあの腫瘍細胞の中にいたいんだ、もっと子孫を残せることになるから』と考えるのです」
このウイルスは腫瘍細胞の方を選び、マクロファージから去ります。そしてこの時こそ、このウイルスが治療効果を発揮し始める時なのです。
難しい標的への到達
Muthana医師のチームは、ここ数年、いくつかのがん種に対する腫瘍溶解性ウイルスの利用について研究してきました。そして今、現在治療の選択肢が比較的少ないがんに着目したのです。
トリプルネガティブ乳がん(TNBC)は、乳がん全体の約15%を占めています。トリプルネガティブと呼ばれる理由は、ホルモンであるエストロゲンおよびプロゲステロン、HER2と呼ばれるタンパク質に対する受容体を持たないためです。
これらの受容体がないと、ホルモン療法、およびトラスツマブ(ハーセプチン)のような分子標的薬が効きません。したがって、トリプルネガティブ乳がんの治療の選択肢が全体的にみて少なくなってしまうのです。
われわれはこうした状況から、トリプルネガティブ乳がんに対して腫瘍溶解性ウイルスを用いたこのチームの研究にたどり着きました。この研究はFuture Pharmacology誌に掲載されています。
同研究では、2つのグループに分けられたトリプルネガティブ乳がんマウスにHSV1716という腫瘍溶解性ウイルスが投与されました。最初のグループはこのウイルスがそのまま投与され、2番目のグループはマクロファージ内に投与されました。
その結果、マクロファージ内のウイルスで治療されたマウスは、もう一つのグループと比較して腫瘍の成長が遅く、がんがありながらもより長く生存しました。
それだけではありません。ウイルスがマクロファージに守られているため、治療効果の発揮に必要なウイルス量(人の血液中のウイルス量)が、マクロファージなしで投与した場合の100分の1で済むことがわかりました。
また、マクロファージが存在するおかげで目標としない影響も低減されます。なぜなら、このウイルスは他の細胞に感染する機会を与えられずに、マクロファージによって、直接、腫瘍に運ばれるためです。
同研究チームは、これらのウイルスが前立腺がんのようながんの治療に有効であることをすでに実証していましたが、トリプルネガティブ乳がんに有効であることを示したのは今回が初めてです。
「冷たい」から「熱い」へ
トリプルネガティブ乳がん腫瘍の治療が難しいもう一つの理由は、この腫瘍がいわゆる「冷たい」腫瘍である場合が多いということです。すなわち、この腫瘍の内部や周囲には免疫細胞があまり存在していないのです。この免疫細胞の欠如、特にT細胞と呼ばれる細胞の欠如が、免疫療法に反応しない原因となっているのです。
しかし、腫瘍溶解性ウイルスがそれを変えてくれるかもしれません。
「がんを死滅させるウイルスで冷たい腫瘍を攻撃することにより、免疫システムを『目覚めさせる』のです」とMuthana医師は述べています。「その結果、『冷たい』腫瘍はリプログラミングされて、免疫細胞の多い『熱い』腫瘍になる可能性があるのです」
「この方法によって、『冷たい』腫瘍をもつ患者群において、免疫チェックポイント阻害薬などによる治療の可能性が開かれるかもしれません。免疫チェックポイント阻害薬は現在大きな注目を浴びており、これによる治療法と腫瘍溶解性ウイルス療法との組合せに目が向けられる可能性があります」
このように、腫瘍溶解性ウイルスは、『冷たい』腫瘍という、治療が困難ながんの患者さんにとって新しい治療の選択肢となり得ます。しかしそれ以上に、これらのがんを既存の治療法に反応しやすくする可能性が腫瘍溶解性ウイルスにはあるのです。
したがって、これらの治療法の開発が進み、ヒトで使用されるまでには時間がかかるとはいえ、腫瘍溶解性ウイルスの前途は希望に満ちているといえるでしょう。
そうすると、もし皆さんが「ウイルス」について考えるとしたら、最初に思い浮かぶものは「希望」となるのではないでしょうか。
- 監修 高光 恵美(生化学、遺伝子解析)
- 翻訳担当者 八木 佐和子
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- 原文掲載日 2023/02/09
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