ヒ素とレチノイン酸は協働して乳がんなどの主要制御因子を阻害

ある種白血病の治療に使用されることの多い2剤併用療法は、乳がんや他の多くのがんで中心的な役割を果たす1つの酵素を阻害することが、新たな研究で明らかになった。

薬剤の組み合わせは、三酸化二ヒ素(トリセノックス)とトレチノイン(レチノイン酸としても知られている)の併用であるが、これにより急性前骨髄球性白血病(APL)は致命的な疾患から治癒可能な疾患に本質的に変わった。しかし、この2剤併用ががん細胞を殺すメカニズムは謎であった。

これまでの研究で、ボストンのベス・イスラエル・ディーコネス・メディカル・センターのKun Ping Lu医学博士とXiao Zhen Zhou医師の研究チームは、レチノイン酸が重要な酵素であるPin1を阻害することを見出した。今回、同研究チームはヒ素もPin1を遮断し、さらに、この2つの薬剤の併用は、いずれかの薬剤単独よりも効率的にこの酵素を阻害することを発見した。

Pin1は、がんの主要制御因子、つまりがんの進行に重要な細胞ネットワーク全体を制御するタンパク質であると考えられている。一部の研究者は主要制御因子が理想的な創薬標的であると考えている。

この知見は「さらなる研究への興味深いスタート台です」と、NCIのがん生物学部門のJoanna Watson博士は述べた。同部門はこの研究に資金提供を行った。

研究者らの報告によると、この併用療法により、いくつかの異なる乳がん実験モデルでがんの増殖が遅くなったという。この知見は8月9日付のNature Communications誌に発表され、これらの薬剤の併用について乳がんの女性を対象にした臨床試験を行うための根拠が示されたと、Lu博士は述べた。

Pin1、理想的な創薬標的

Pin1は、タンパク質内でアミノ酸であるプロリンの形状を変換させる。この構造変化により、腫瘍増殖を促進する40種のタンパク質が活性化され、腫瘍増殖を抑制する20種を超えるタンパク質が不活性化される。

Pin1は、乳がん、肺がん、前立腺がんおよび大腸がんなど、多くの異なるがん種において過剰に活性化している。Pin1はまた、乳がん幹細胞、つまり発がん、増殖、転移および薬剤耐性の原因と考えられる特殊ながん細胞において通常よりも多く認められる。

一方、Pin1欠損マウスでは、がんを引き起こす他の遺伝子変異が存在しても、がんが発生しない。

ヒ素は急性前骨髄球性白血病の治療のためにレチノイン酸と併用されることが多いので、研究者らはヒ素もPin1を標的にするかどうかに興味があった 。しかし、急性前骨髄球性白血病を研究するのではなく、トリプルネガティブ乳がんに焦点を当てた。というのは、この悪性度の高い疾患は予後不良であり、標的療法が有効でないからである。

ヒ素とレチノイン酸は協働する

研究者らはまず、ヒ素がPin1活性を阻害し、それによりトリプルネガティブ乳がん細胞の増殖を遅らせることを見出した。次に、乳がん細胞の増殖を妨げるにはヒ素がPin1に結合する必要があることを示した。ヒ素との相互作用によりPin1が不安定になり、その結果破壊されると、Lu博士は説明した。

ヒ素はまた、マウスにおいてPin1を減少させ、乳がんの異種移植腫瘍の増殖を遅らせた。

次に、研究者らは、トリプルネガティブ乳がんの細胞モデルおよびマウスモデルにおいてヒ素とレチノイン酸の併用による効果を検討した。

細胞またはマウスをヒ素またはレチノイン酸単独で処理すると、Pin1が減少し、細胞増殖が遅くなった。しかし、2つの薬剤を併用するとさらに大きな効果をもたらした。この薬剤併用により、Pin1ががん増殖を制御する特定のタンパク質の量を変化させることも妨げ、乳がん細胞においてPin1遺伝子の不活性化と類似の効果をもたらした。

この薬剤併用は相乗作用を示し、つまり得られた効果は「2つの(薬剤)を単に一緒に加えた際の予想を上回る効果 」であることを意味していると、Watson博士は説明した。

相乗作用は、急性前骨髄球性白血病細胞をレチノイン酸で処理すると細胞内にヒ素を運ぶトランスポーターが増加するという事実を反映している可能性がある。Lu博士らがトリプルネガティブ乳がん細胞をレチノイン酸で処理した際も、トランスポーターの量は増加した。対照的に、遺伝子操作によりこのトランスポーターを欠損させたトリプルネガティブ乳がん細胞では、ヒ素とレチノイン酸は相乗的に作用しなかった。

これらの結果は、Pin1を直接阻害することに加えて、レチノイン酸がこのトランスポーターの量を増加させることによって細胞内のヒ素の量を増加させることを示唆していると、Lu博士は説明した。その結果(増加した)ヒ素はさらにPin1を阻害する。

このことは、レチノイン酸とヒ素を併用した場合、低濃度のヒ素でも期待した効果が達成可能であり、高用量で極めて毒性の高いヒ素の副作用を減らせる可能性があることも示唆していると、同博士は付け加えた。

乳がん幹細胞を標的に

がん幹細胞を効率的に標的とする薬剤を開発することは難題であり、治療後も残るがん幹細胞はがんの再発と転移の原因になると考えられている。

Lu博士の研究チームは、ヒ素とレチノイン酸の併用により、いずれかの薬剤単独よりも、トリプルネガティブ乳がん幹細胞が大幅に除去されたことを発見した。併用療法の効果は乳がん細胞のPin1 遺伝子を不活性化した際の効果と類似していることが判明した。

研究者らは、ヒ素とレチノイン酸の併用により化学療法に耐性のあるがん幹細胞が除去されること、さらにトリプルネガティブ乳がんのマウスモデルにおいてがん幹細胞が除去されることも見出した。

新たな見識と新たな治療法の可能性

ヒ素の主な標的は急性前骨髄球性白血病にのみ見られる融合タンパク質であると長い間考えられていた。そして効果があるという証拠が若干あったにもかかわらず、ヒ素が他のがん種に対してはたして有効なのだろうかという疑問があった。これまでの研究で、Lu医師とZhou医師の研究チームは、レチノイン酸がPin1を阻害することによってこの融合タンパク質を標的とすることを発見した。

Luis博士は、「ヒ素の主な標的としてPin1を同定することによって、他のがん(種)についての臨床試験が促進されることを期待しています」と述べた。

研究者らは、トリプルネガティブ乳がんの患者を対象にしたヒ素と標準治療を併用する臨床試験の開始を望んでいる。さらに、研究者らの知見はヒ素の活性がPin1およびヒ素のトランスポーターの発現に依存していることを示すため、両方のタンパク質を発現しているがん患者を選択したいと、Lu博士は述べた。

レチノイン酸は通常、人の体内で速やかに分解される。固形腫瘍に到達する能力を高めるために、研究チームはより安定した剤形のレチノイン酸の開発に関心を持っている。このような剤形を作ることができれば、臨床試験でヒ素と併用できるかもしれないと、Lu博士は述べた。

ヒ素の抗がん活性の1つのメカニズムより学んだもう1つの利点は、ヒ素自体よりも少ない副作用でより効率的にPin1を標的とする可能性のある新薬の開発が可能になりつつあることであると、Watson博士は述べた。研究チームは、Pin1活性を阻害する標的治療薬の開発にも取り組んでいる。

Pin1は、がんの発生に関与する複数の経路を制御するため、がん細胞はPin1の活性を阻害する薬物に対する耐性の獲得能が低い可能性がある(耐性の獲得は単一経路を攻撃する標的療法で起こることが多い)と、Lu博士は指摘した。

翻訳担当者 坂下美保子

監修 東海林 洋子(薬学博士)

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