がん治療戦略として炎症の標的化が浮上

1863年、ドイツの病理学者は、がん組織内の白血球を観察した。白血球は人体の炎症反応の一部で、病原微生物などの侵入微生物に対抗し、かつ、損傷組織を治癒するために活性化される。

この観察に基づいて、病理学者Rudolf Virchow氏は、がんの起源に関する新たな説を提唱した 。一部の腫瘍は慢性炎症部位、すなわち、不要になった後も炎症が続いている部位に発生する可能性があるとVirchow氏は考えた。

Virchow氏の基本的な着想は、時の試練に耐えている。子宮頸部や結腸などの人体の特定の部位に慢性炎症があると、こうした臓器にがんが発生するリスクが増加する可能性がある。

しかし、Virchow氏の観察はがんと炎症に関する物語の始まりに過ぎず、物語の結末はまだ見えていない。

現在、炎症はがんの特徴と考えられている。研究者らは、体内での病気の広がりや腫瘍の治療抵抗性など、がんのさまざまな側面で炎症が果たす役割の可能性を探っている。

今後数年間で、研究者らは、腫瘍の周囲の炎症を標的とする治療法ががん患者に有用かどうかをさらに究明しようとしている。いくつかの初期研究で、有望な結果が得られている。

「がんと炎症の関係は多岐にわたるため、治療法を開発する好機です」とMichael Karin博士(カリフォルニア大学サンディエゴ校、炎症機序の研究者)は述べた。

治療法候補に関する研究の多くは初期段階にあるとはいえ、「がん関連炎症を抑制する戦略はいつの日か、現代がん治療の要となるでしょう」とKarin氏は予測する。

がんと炎症の複雑な関係

損傷組織がヒスタミンやプロスタグランジンなどの特定の化学物質を放出する時に、炎症過程が始まる。これに反応して、白血球は損傷した組織に遊走し、組織を再生するために細胞を分裂・増殖させる物質を産生する。損傷が治癒した時点で、炎症過程は終了する。

しかし、炎症が不適切な時に生じたり、慢性化したりすると、問題が生じる可能性がある。多くの研究者らは、炎症は両刃の剣であると述べている。

「免疫系が常に警戒を怠らず、病原微生物などの外敵が人体内に侵入してこないかを監視している一方で、効果的に抑制されない炎症は、がんの発生や増殖につながる可能性があります」とStephen Hewitt医学博士(NCIがん研究センター実験病理学研究室)は述べた。

一部の症例で、腫瘍細胞は炎症環境を巧みに利用して、抗腫瘍免疫細胞を実際に排除することがある。

免疫系は体内からの脅威、すなわち腫瘍に対しても警戒している。「研究者らは、私たちの体内にこれまで知らなかった腫瘍細胞が存在する可能性を注視しています。というのは、免疫系が外に出て、こうした腫瘍細胞を殺しているためです」とHewitt氏は述べた。

さらに、免疫療法などのがん治療は、病原微生物に対抗するために用いられる炎症過程の一部を活性化することで、がん細胞を殺すことがある。そこで、研究者らは炎症と免疫療法の相互作用を研究しているとKarin氏は指摘した。

要するに、炎症が腫瘍増殖を促進する一方で、抑制する可能性があるという科学的根拠が存在する。過去10年にわたり、研究者らはこの知見をもとに、抗炎症薬などのがんに対する新規治療薬を探索している。

最近、ある小規模臨床試験で、この手法の潜在的価値が実証された。研究者らは、乳房近くの組織には浸潤しているが他の部位には転移していない乳がん(局所進行性)、または他の部位に転移している乳がん(転移性)の患者24人を登録した。

参加患者は、L-NMMA(NG-モノメチル-L-アルギニンNG-monomethyl-L-arginine:L-NMMA、炎症に関与する分子である一酸化窒素の産生を阻害する)という抗炎症薬を化学療法に追加した併用療法を受けた。

この治療レジメンは参加患者の約半数で腫瘍を縮小させた(研究者らの推定では、過去のデータから、化学療法だけでは参加患者の約3分の1しか奏効しなかったと思われる)。局所進行乳がん患者3人では、治療後にがんの徴候がすべて消失した。

「奏効を期待していなかった患者にも、著しい奏効が認められました」と主任研究員であるJenny Chang医師(ヒューストン・メソジスト病院ニールがんセンター長)は述べた。

Chang氏の研究は、がん患者においてL-NMMAを検証した最初のものであった。研究者らはこの抗炎症薬の体内での働きを調べるために、腫瘍を取り巻く細胞、分子、その他の構造(腫瘍微小環境)を研究した。

その結果、この薬剤が一酸化窒素の産生を阻害することで、腫瘍の周囲の炎症を抑制することが示唆された。これにより、抗腫瘍免疫細胞が腫瘍に侵入し、がん細胞を殺すことが可能になったようであると研究者らは述べた。

「一部の化学療法抵抗性乳がんでは、炎症が腫瘍の周囲に要塞のように存在します。その腫瘍微小環境は炎症性タンパク質前駆体を放出し、免疫細胞の侵入を阻みます」とChang氏は述べた。

「しかし、L-NMMAは、他の治療選択肢に反応しない患者であっても、その障壁を取り除くことができるようです」とChang氏は言う。

Chang氏らはより多くの患者を対象にこの薬剤を検証するため、NCIの支援を受けた第3相臨床試験を計画している。この臨床試験には、乳腺化生がん(希少で致死的であることが多い乳がん)患者を含める予定である。

「炎症は乳腺化生がんの重要要素です」とChang氏は述べた。

「タイミングがすべて」

通常の炎症反応では、免疫細胞は病原微生物を殺す化学物質を産生する。こうした化学物質が活性酸素種で、正常細胞のDNAを損傷し、がんにつながる可能性がある遺伝子変異のリスクを高める。

「タイミングがすべてです。炎症に関連する生物学的過程の最適なタイミングが変化すると、がんが発生する可能性が高くなります」と、Jennifer Kay博士(サイレント スプリング研究所)は述べる。同氏は、正常細胞ががん化する機序を研究している。

例えば、通常の炎症反応では、損傷組織を置き換えるための細胞増殖は、反応性化学物質が産生されなくなるまで遅れるのが普通である。この一連の事象により、置換される細胞が反応性化学物質によりDNA損傷を受け、がんを引き起こす遺伝子変異が起こる可能性が低くなる。

しかし、慢性炎症が起きている間は、反応性化学物質の産生が、損傷組織を修復する細胞の増殖と重なる可能性があるとKay氏は指摘した。これは、がんリスクを増大させる可能性がある。

炎症が必要でない時に始まったり、慢性化したりする理由は、必ずしも明らかではない。最近の研究には、通常は炎症を適切な時機に止める機序が破綻していることに着目しているものもある。

「生物学は複雑です。というのは、体を健康に保つためには、多くのことが必要だからです。進化によって、緊密に連係した生物学的過程の広大なネットワークが作られています」とKay氏は述べた。

「こうした生物学的過程の多くは相互依存しているため、1つの経路に障害が発生すると、他の部位にも波及し、炎症を制御できなくなる可能性があります」とKay氏は言い添えた。

炎症系の操作方法を学ぶ

テキサス大学MDアンダーソンがんセンターでは、炎症に関与するタンパク質であるシグナル伝達兼転写活性化因子3(signal transducer and activator of transcription 3:STAT3)などの炎症の分子機序が研究している。

「私たちは、腫瘍に対抗する人体の能力を向上させるように炎症系の構成要素を操作する方法を知りたいと思っています」とStephanie Watowich博士(テキサス大学MDアンダーソンがんセンター炎症・がんセンター長)は述べた。

STAT3活性化の異常は一部のがんと関連し、STAT3阻害薬ががん患者で検証されている。

「マウスを用いた研究結果を含む多くの科学的根拠から、STAT3阻害薬には異なる相補作用がある可能性が示唆されます。この薬剤は腫瘍の増殖を抑制すると同時に、免疫系が残存腫瘍細胞を排除する能力を高める可能性もあります」とWatowich氏は述べた。

「これがSTAT3阻害薬に抱く希望です。今後の研究では、免疫細胞内の他のタンパク質を阻害することで、免疫細胞の腫瘍排除能力を向上させることもできるかどうかを検証する予定です」とWatowich氏は言う。

免疫系が機能する新たなマウスモデル

L-NMMAは本来、心不全の治療薬として開発されたものである。Chang氏らは、NCIの研究者らによるマウスでの研究にある程度基づいて、一酸化窒素合成酵素阻害薬であるこの薬剤をがん患者で検証することを決めた。

David Wink博士(NCIがん研究センター)らは免疫系が機能する新たなマウスモデルにおいて、L-NMMAなどの一酸化窒素阻害薬を研究した。がん研究に用いられるほとんどのマウスモデルは、免疫系が正常ではない。

Hewitt氏によれば、この新たなマウスモデルは、L-NMMAに関する研究が示唆する通り、がんと炎症の研究にとって重要な技術の進歩を意味する。

「免疫系が機能するマウスを用いることで、腫瘍と免疫系の相互作用に関わる分子機序を調査できます」とHewitt氏は述べた。

L-NMMAのパイロット試験が終了すると、Chang氏らとNCIの研究者らは、患者とマウスの腫瘍微小環境を可視化した。両種とも、L-NMMA投与より前は、抗腫瘍免疫細胞は腫瘍の外側に付着し、がんに浸潤できないようであった。

「その画像は実に驚くべきものでした。免疫細胞が腫瘍標的に対して自己配向する方法は、生物種間で著しく似ていました」とWink氏は述べた。

研究者らは、炎症により免疫細胞ががん細胞を殺傷できないでいるという疑念を確認するために、さらに研究を進めた。

L-NMMAに反応した患者の腫瘍生検では、同薬投与マウスの腫瘍生検と同様に、抗腫瘍免疫細胞のレベルが上昇し、炎症性タンパク質のレベルが低下していることが確認されたことを研究者らは突き止めた。

Chang氏によると、これらの結果は、L-NMMAが炎症の抑制と免疫細胞の腫瘍への浸潤を促すという見解を裏付けるものであった。

「反応した患者で認められたものはまさに、マウス モデルで生じると予測されたものでした」とChang氏は述べた。

患者のために知識を役立てる

Wink氏は、がん治療を目的とする抗炎症薬にに他の薬剤を併用する治療法の研究がさらに進むと予測している。「これが新たな未開拓分野です」とWink氏は述べた。

Rudolf Virchow氏の観察記録から150年余り、今こそ炎症に焦点を当てた科学的共同研究プロジェクトが必要であるとWink氏は続けた。Wink氏は、ヒトゲノム計画を模範とした、炎症に関与する分子構成要素を明らかにする包括的な取り組みを構想している。

「私たちは、炎症の核心を見つけ出す能力を手に入れました。炎症の弱点を見つけるには、すべての要素と生物学的過程を同時に研究する必要があります」とWink氏は述べた。

Karin氏はこれに同意し、行動を起こすよう呼びかけた。

「数十年にわたる炎症とがんに関する基礎研究の後、患者のために私たちの知識を役立てる時が来たのです」とKarin氏は述べた。

日本語記事監訳:高光恵美(生化学、遺伝子解析)

翻訳担当者 渡邊 岳

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