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ケモブレインを引き起こす可能性のある生物学的変化

近年、一部のがん治療の副作用である「ケモブレイン」が、研究者から注目を集めている。ケモブレインはがん治療に伴う認知機能障害と言われることが多く、重度の記憶障害、頭脳明晰さの欠如、および多くの経験者が「意識混濁」と呼ぶ状態を特徴とする。

化学療法薬であるシスプラチンは、ケモブレインと関連付けられることが多い。今回の新規研究(以下、本研究)で、研究チームはシスプラチン治療歴のある患者のケモブレインの原因となる重要な生物学的変化の候補を特定した。

本研究は主にマウスで行われ、シスプラチン投与によって、記憶や情報処理などの機能を担う脳の領域で、脂質分子であるスフィンゴシン-1-リン酸(Sphingosine-1-phosphate:S1P)が増加することを示した。この増加したS1Pには、脳細胞内のミトコンドリア活性の変化や炎症の促進などのケモブレインの引き金と考えられるいくつかの生物学的作用を有していた。

Daniela Salvemini博士(セントルイス大学医科大学院)らが主導した本研究で、脳内のS1P受容体を標的とする治療薬(多発性硬化症の治療薬としてすでに米国食品医薬品局[FDA]に承認されている)が、シスプラチン投与マウスでケモブレイン様症状を予防することも明らかになった。

NCIが資金提供した本研究結果は、Journal of Clinical Investigation誌9月1日号に掲載された。

「シスプラチン治療歴のある多くの患者が持続的認知機能障害を抱え、日常生活に大きな影響を受けている患者が何百万人もいます。従って、その予防法が見つかれば、本当に画期的なことなのです」とSalvemini氏は述べた。

研究チームは次に、こうした多発性硬化症治療薬がケモブレインの症状の発症を予防するだけでなく、一度発症した認知機能障害の症状を回復させられるかどうかを調査する予定であるとSalvemini氏は述べた。また、ケモブレインに関連する他の化学療法薬による治療が、脳内のS1P量に同様の変化を引き起こすかどうかも調査する予定である。

こうした知見は重要だが、がん治療による認知機能障害の最適な評価方法や、マウスでの研究をこうした障害を抱える人々の利益になるように橋渡しする方法を確定するためにさらに研究が必要であると他の専門家らは述べている。

化学療法が脳に及ぼす影響を調査する

がん関連認知機能障害は、がんサバイバーの半数以上が罹患していると推定される。現在、がん治療に関連するFDA承認の認知機能障害治療薬はなく、その原因となる分子機序を調べる研究も限られている。

長年にわたり、Salvemini氏は手足などの四肢に生じる化学療法起因性疼痛、すなわち、末梢神経障害を研究している。

Salvemini氏らによるラットを用いる研究で、化学療法薬がS1P(疼痛系内の重要な活動と関連するシグナルを伝達する)の量を変化させることが示された。また、以前の研究から、中枢神経系の一部で疼痛と大量のS1Pが関連していたことも示された。S1P量の増加が化学療法と関連することが多い認知機能障害を部分的に説明できるかもしれないとSalvemini氏らは考えた。

本研究で、Salvemini氏らは健常マウスにヒトで使用されているのと同様のプロトコルでシスプラチンを投与した。最終投与から2週間後、多くのマウスが認知機能に関する一連の行動実験(迷路など)の達成に苦労した一方、プラセボ投与マウスにはこうした問題は生じなかった。

Salvemini氏らは次に、マウスの認知に重要な脳領域を解析した。その結果、疼痛に関する研究と同様、S1P量がシスプラチン治療後にこれらの領域で増加し、認知機能障害と関連する他の脳の変化(炎症など)を引き起こすことを突き止めた。

S1Pはその効果を発揮するために、細胞表面でS1PR1という受容体タンパク質に結合する必要がある。この過程を阻害する2種類の薬剤オザニモド(販売名:ゼポシア)とフィンゴリモド(販売名:ギレニア)は、多発性硬化症の治療薬としてFDAに承認されている。

Salvemini氏らはシスプラチン投与前のマウスにこれらの薬剤を投与したところ、「さらに興味深い展開になりました。というのは、すでにFDAで承認されているこれらの薬剤がマウスの認知機能障害の予防に非常に有効であることが証明されたからです」とSalvemini氏は述べた。

別の実験で、これらの多発性硬化症治療薬がマウスの認知機能障害を予防するためには、S1PR1が脳細胞の一種である星状膠細胞に存在する必要があることがわかった。

「これらの薬剤をヒトに対して化学療法関連認知機能障害の予防に使用する前に、さらに研究を進める必要があります」とSalvemini氏は強調し、「しかし、これらの薬剤がすでにFDAの承認を受けているということは、臨床試験に入るまでに何年もかかる一般的な創薬とはスケジュールが異なるということです」と述べた。

これらの薬剤をがん患者に使用する際に想定される懸念は、これらの薬剤が化学療法の効果を低下させる可能性である。しかし、マウスを用いた他の研究から、これらの薬剤は化学療法による腫瘍縮小を抑制しないことが示唆されている。実際、これらの薬剤は腫瘍自体を縮小させる可能性もある。

今後、Salvemini氏らは、マウスにおいてシスプラチンで発見されたものと同様な生物学的変化が、他の種類の化学療法薬(タキサン系薬剤など)でも生じるかどうかを調査する予定である。その調査の目標は、さらに研究を行い、最終的に臨床試験につなげることであるとSalvemini氏は述べた。

認知機能障害とがん治療に関する理解を深める

「こうした新規結果は、シスプラチンが実際に脳内の細胞にどのように作用しているかという生物学的に興味深い洞察だけでなく、その治療法候補も示すものです」とMichelle Janelsins博士(公衆衛生学修士、ロチェスター大学医療センター ウィルモットがん研究所 がん制御・精神神経免疫学研究室長、本研究には不参加)は述べた。

この研究の次の段階は、他の化学療法薬がシスプラチンが引き起こすものと同様の変化を脳に引き起こすかどうかの研究であることにJanelsins氏は同意を示す。また、臨床試験に使用される前に、シスプラチンや同様の化学療法薬による心臓障害の一部をS1PR1標的薬が引き起こすかどうかを調査することも重要であると述べた。

本研究でシスプラチンによる心臓障害とS1PR1標的薬がこうした障害を軽減する機序が示されるとLori Minasian医師(NCIがん予防部門副部門長)は述べた。

しかし、マウスでの認知機能評価が、シスプラチン化学療法に由来するヒトの認知機能低下をどの程度反映しているかは不明であるとMinasian氏は続けた。

「認知機能における低下した側面を理解し、それを適切に評価したうえで、動物モデルで評価したものを確実にヒトにマッピングできるようにする必要があります」と述べた。

最近の研究で、Janelsins氏はがん治療歴のある人における認知機能の経時変化を研究している。

Janelsins氏はNCI地域腫瘍学研究プログラムを通じて実施された2つの全米規模の研究を主導し、化学療法治療歴を有する乳がん患者とリンパ腫患者の認知機能は、時間の経過とともに対照患者と比較して低下する傾向があることを明らかにした。Janelsins氏らは同等の認知機能検査を用いたマウス研究でも同様の結果を得た。

増大する問題の潜在的解決方法を探る

がん治療後の認知機能障害の治療法や予防法の発見は、化学療法だけでなく多くの要因が絡んでくるため複雑な問題であるとMinasian氏は述べた。こうした要因には、年齢や他の健康問題、ならびに、社会経済的地位やストレス度などの考慮事項が含まれる。

特に高齢者人口が増加し、がん治療の進歩によって長期生存できるがんサバイバーが増えるにつれて、年齢は重視すべき事柄であることにJanelsins氏は同意した。

「がん治療に関して意思決定をしようとするとき、認知機能低下に対する脆弱性や認知機能障害の既往歴を有する成人への配慮がますます重要になるでしょう」とJanelsins氏は述べた。

これにより、Salvemini氏はこの複雑な問題に対処する方法に関して、より理解を深めることに情熱を燃やしている。

「(がん患者の)認知機能障害を予防できるかどうかだけでなく、治療して改善できるかどうかも調べたいのです。100%ではないかもしれませんが、20%か30%でも改善できれば、誰かの人生に大きな影響を与えることができるでしょう」とSalvemini氏は述べた。

 

監訳:東 光久(総合診療、腫瘍内科、緩和ケア/奈良県総合医療センター)

翻訳担当者渡邊 岳

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